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開山方丈 惟覚和尚様
惟(ゆい)覚(かく)和尚(おしょう)様は字号知(ち)安(あん)、法号惟(ゆい)覚(かく)、四川省の営山県で生まれました。少年時代から儒学教育を受け、仏教を深く究め、1963年、基隆十方大覚禅寺霊源長老に就いて剃髪しました。出家後は、毎日早朝から清掃、昼も休まずに大仏殿で礼拝といったように日々摂心修行に励み、絶えず精進してきたのです。
和尚様は修行にさらに磨きをかけるため、十年間に渡り台北県の万里の山に籠って修行していました。その後、産業道路の開発に伴い、和尚様の徳風、円融な説法を慕って訪ねて来る人が益々増えてきたこともあり、その地に霊泉寺が建立され、布教活動も盛んに進んでいきました。ところが、弟子激増のため、霊泉寺よりもっと大きな修行道場が必要となり、また僧侶たちと人々が落ちついて修行できるようにと、和尚様は南投県の埔里鎮に中台禅寺の創建を決意されるにいたった次第です。
和尚様は仏陀の教法に従い、仏法を広め、人々の心を清め、社会を安定させようと尽力しています。そのため、積極的に国内外に精舎を設立し、禅修を奨励します。また、大学や各機関などの招きを受け、講演や開示なども行っています。また定期的に禅七(七日間の座禅会)を催し、学習者に心の悟り方を指導します。仏教の正法を永世に伝え、また僧侶教育向上のために布教人材を育成する中台仏教学院が設立されました。そして、その後、国家に役立つ優れた人材を養成するために普台小学校、中学校、高等学校も相継いで創立されました。また同時に、伝統文化を発揚し、仏教歴史資産を保存するための中台山博物館も創立されました。
霊泉寺から始まり中台禅寺に至るまで、導師惟(ゆい)覚(かく)和尚(おしょう)様の指導の下で、完全なる和合の菩薩僧団が建立されました。そして禅宗の心法(しんぼう)も四衆弟子の心の中に深く根を下ろし、全世界に広まりつつあります。
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